「金持ちの願い」   04.07.04
              ルカ16:14〜31

 聖書の言葉は、時に適った慰めや励ましの言葉として響いて
きますが、時には、自分の生き方への問いかけとして迫ってくる
こともあります。
 イエスさまは、ある金持ちとラザロの話をされました。「豊かな
生活を楽しんでいた金持ちと、大変貧しいラザロという人がいた。
死後、貧しかったラザロは神の国で安らかにすごし、金持ちは死の
国で苦しみもだえていた。」とおっしゃるのです。
 金持ちは、自分が神さまの祝福の内に置かれていると信じて
いたでしょう。 祝福されていたから豊かだったのです。それなのに
どうして死の国で苦しむことになったのでしょうか。金持ちは、悪人で、
ラザロにひどいことをした、というのではありません。
 ただ、彼は、神さまからの祝福を、目の前にいるラザロの喜びの
ために用いなかったのです。「この最も小さい者の一人にしなかった
のは、わたしにしてくれなかったことである。」と、終りの日に、
イエスさまから言われる者となっていました(マタイ25:45)。

 律法と預言者(聖書)は、語り続けてきました。神さまからの祝福や
恵みを受けるのは、受けた者が喜びを独り占めするのではなく、
源となるためだと。
 「貧しい同胞に対して心をかたくなにせず、手を閉ざすことなく、彼に
手を大きく開いて、必要とするものを十分に貸し与えなさい。
…このことのために、あなたの神、主はあなたの手の働きすべてを
祝福してくださる。」(申命記15:7〜10)と言われます。
「主はアブラムに言われた。…わたしはあなたを大いなる国民にし、
あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。」
(創世記12:1〜2)イスラエル民族の土台となる言葉にも、はっきりと
語られていることです。

 私たちが祝福、恵み、そして救いの源として歩むことを、神さまは
願っておられます。 そのためにも、愛を注ぎ、励まし、力づけて
下さいます。
 「神は、…私たちを通じて、至る所にキリストを知るという知識の
香りを漂わせてくださいます。」(Uコリ2:14)